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第十三話 “LUX TRADE代表・柊 蓮”

Author: marimo
last update Last Updated: 2025-11-26 09:07:03

一方その頃――。

 蓮は空港へ向かう車の中にいた。

 車窓を流れていく街の景色は、いつもと同じ東京のはずだった。見慣れたビル群、通りを急ぐ人々、信号待ちで並ぶ車列。そのどれも変わらない日常の風景なのに――今日は妙に遠く感じられた。まるで自分だけが別の世界へ向かう準備をしているかのように、すべてが薄い膜の向こう側にあるように見えた。

 蓮はふと、胸の奥がざわつくのを抑えきれず、スマートフォンを手に取った。

 画面を立ち上げると、そこに浮かび上がったのは玲の写真。

 優しく微笑んだ横顔。初めて二人で撮った記念の一枚。あの日の空気の温度まで蘇るようで、蓮は思わず指先でその輪郭をなぞる。

 その笑顔が、胸の最深部をぎゅっと締めつけた。

 触れれば壊れてしまいそうな、儚く温かい光。

 何度も画面を swipe し、そして消す。

 消したところで意味がないと分かっているのに、また開いてしまう。

 この一ヶ月、彼女に連絡を取ることは許されない。

 黎明の“闇の命令”によって定められた、絶対のルール。

 わかっている。頭では理解している。

 ――それでも、指は勝手にメッセージアプリへ向かう。

「……一ヶ月か」

 ぽつりとこぼれた呟きは、重く沈んだ車内に吸い込まれていった。

 運転手は聞こえなかったふりをしたのか、表情を変えず前を向いたままだ。

 助手席に置かれたスーツケース。

 その中には、任務のための資料、そして隼人とだけ繋がるための秘密の通信機器が収められている。

 さらに、セキュリティケースの中には、関西で使うための名刺。

 “LUX TRADE代表・柊 蓮”――偽名で作られた身分証。

 黎明が裏で動かして用意した、影の存在としての蓮。

 だが蓮の心にある願いは、そんな任務とはまるで結びつかない、ただひとつの思いだけだった。

 ――必ず戻る。そして、お前を誰にも渡さない。

 言葉にはしない。ただ胸の奥で、確かに燃えている。

 車はいよいよ高速道路へと入り、周囲の景色が一気に開けていく。

 薄曇りだった空はいつの間にか晴れに変わり、遠くには羽田空港の広いターミナルビルが姿を現した。巨大な建物が夕陽に照らされ、ガラス面がキラリと光る。

 滑走路では、離陸する飛行機が白い軌跡を残しながら、力強く空へと駆け上がっていく。

 蓮はその光景をじっと見つめ
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